銀座のカクテルバー(女性が隣に座るクラブではない)ではボトルキープをしてくれる場所はほとんど見かけない。置いてあるボトルは、サントリー系の「響(ひびき)」「山崎(やまざき)」「白州(はくしゅう)」、キリン系の「富士山麓」、ニッカの「ブラックニッカ」といった国産ブランド以外に、大麦麦芽を原料とし単一蒸留所でつくられたシングルモルトウイスキーの「マッカラン」「ラガブーリン」「アドベーグ」、複数の蒸留所のブレンドであるブレンデッドウイスキーの「バランタイン」「シーバスリーガル」などである。たまに飲料メーカーから提供される試供品や会員制ウイスキークラブの特注ボトルが置いてあることもある。長年ウイスキーを嗜んでいると、普通の味や香りには飽きてきて、アイラ島のクセのあるスモーキーなスコッチを好むようになってきた。
会社の同僚と、渋谷のバーで飲んだとき、彼が「ウイスキーはマッカランが美味しいよね」というので「まだ次のステージに至っていないのかな」と思ったのは5年前くらいのことだ。
その後、世界の金融業界の中心であるシティのダイナミックな雰囲気と本場のウイスキーを求めて、ロンドンを訪れた際に、地元の有名なバーを複数回った。ひとつは世界のカクテルランキングの上位に列したこともあるインド人移民が経営するテームズ河沿いのバーで、他に世界でバイブル的な扱いになっているカクテルブックを出しているクラシックホテル内のバー、同バーでヘッドバーテンダーを務めたカクテル業界十本の指に入る著名バーテンダーがイギリス・ロンドン中心部のメイフェアにあるサビルロー(Savile Row)の近くに開業したバー、の3つである。
夕方、テームズ河沿いのバーでは、殊の外賑やかでバーカウンターはもちろん、テーブル席も老若男女の人々に溢れて熱気を放っていた。テームズ河自体は期待に反して、雨の降った後の工事現場の水たまりのような土砂の混じった茶色であるが、ロンドン中心部を流れる河ということでやはり趣を感じられる。初めて古くは2000年の歴史があるロンドン橋を渡った時は感慨深かった。
テームズ河は346kmの長さであり、ロンドンの遥か西にあるコッツウォルズの丘の近くに水源がある。コッツウォルズは歴史が古く、羊毛の交易で栄えていた。黄色味を帯びたライムストーン(石灰石)の建物が特徴的であり、現在でも、古いイングランドの面影を残した田園地帯として有名である。ロンドンから見るとオックスフォードよりも少し先に行った場所にある。さらにそこから北に行くとシェイクスピアの生家があったストラトフォード=アポン=エイボンがある。ロンドンのバスターミナルから出ている現地観光ツアーにて当地を訪れた。
サビルローは、日本語の「背広」という言葉の由来となったとの説もあるが、かつてはウィンストン・チャーチルやナポレオン3世などの顧客を抱えていたという。Google Mapの地図上はサビルローに面したバーのように見えたが、実際は大通りであるリージェントストリートから脇道に入る、逆「コ」の字型の奥まった通りに面し、さらに、テラス席と観葉植物に隠れて入口が見つけにくい地下店舗であった。
この店は銀座のバーで馴染のバーテンダーから教えてもらったのだがバー業界の様々な関係者が「巡礼」に訪れる。実際に店に入った時には、その著名バーテンダー以外に、修行中の若い日本人バーテンダーやイタリアから来ているというイタリア人のウェイターが働いていた。
まだ開業して間もないがバーカウンターには常連客2名がバーチェアに座って著名バーテンダーと談笑し、現地の若い女性3人組や、カップル2人がテーブル席に座る以外は、席は空いていた。
クラシックホテルは、流石に格式が高く、恭しく迎えてくれる入口のホテルマン、瀟洒なインテリア、高級感のある皮革製のソファなど、こちらも厳かな気持ちになった。同店のカクテルメニューでは太陽や月、植物のイラストとともにカクテルの名前、主な材料が記されていた。その店のこだわりが結晶化されたカクテルメニューはスマホを取り出してひとつひとつ撮影し、オンライン上のストレージで保管するようにしている。
壁面の棚に並んだボトルを見ながら「あのテキーラを使ったマルガリータを」と、バーテンダーに頼むと「どのドン・フリオで」と聞かれ「レポサドで」と答え、まもなくカウンター上に運ばれると柑橘の香りが立ち昇ってきた。
カクテルひとつひとつにはストーリーがあり、そのカクテルを構成するベースの蒸留酒、リキュール、ビターズ(薬草・香草・樹皮・香辛料の混じった苦味酒)それぞれに造り手のこだわりが幾重にも積み重なった飲み物である。「マティーニ」「ホワイトレディ」「マルガリータ」「オールドファッションド」など定番のカクテルもそうだが、常にバーテンダーたちの新たな試みにより新たなカクテルが世界中で生まれている。
新しく生まれてくるカクテル自体は、「ディアジオ」「ペルノ・リカール」「サントリー」といった世界・日本の各飲料メーカーが流行らせたいと考えているものと無関係ではいられなかったり、アルコール飲料自体の消費量の低迷による影響により買収による大規模化とクラフトメーカーによる特色のある小規模生産とで両極化していくのだろう。
残念ながら1週間のロンドン私的旅行でウイスキーの聖地であるスコットランドは遠すぎたため訪れることはできなかったが、ロンドンにあるカクテルバーを訪れることでカクテルに対する愛着がさらに増した。さて今夜も、ロンドンの伝統ある街並みとバーテンダーたちの創造性溢れるカクテルを思い出しながら、グラスを傾けるとしよう。